カッシーラー『国家の神話』(1950[1946]=2018)

読書会で読んだ。3か月くらいかかってる?

国家の神話 (講談社学術文庫)

国家の神話 (講談社学術文庫)

 

 

ざっくり言えば、政治生活の根幹にあったはずの合理的な政治思想の相が、なぜ第一次大戦以後に神話によって蹂躙されてしまったのか、という話。

まず第一部では、非合理的で比喩を解しない原始的な性格を持つ神話が、人間にとってどのような効果を発揮するのか(機能)が、心理学と人類学の知見、そして象徴的人間という彼の概念枠組みによって定式化される。「神話は人間の社会的経験の客観化」であり、「形象とは知られていない」(p.81)もので、かつて哲学者たちが認識に対して二次的なものと見なしていた情動にかかわる。人間は神話によって「諸々の本能、様々な希望や恐怖を組織化する」。
カッシーラーは、これまで神話を研究対象としてきた者たちのように神話が人間にどのような主観的意味をもたらすのか、と問うのではなく、神話が人間の社会生活に対して先のように機能するものだと断じる。その上で第二部では、政治学説史において、理性と神話がどのような関係をもってきたのか――思想家たちは神話に対する理性の優越をどのように政治学説として打ち立てようとしてきたのか――を描く。
第三部では、20世紀の全体主義国家に理論的な寄与をしたと考えられている3人を取り上げ、ナチズムとの一致を確認する。しかしナチズムは政治的神話の技術によって三者の英雄崇拝、人種主義、国家主義をひとまとめにし、人びとを統御した。言語機能の呪術化と儀礼の徹底を通じて政治的神話を技術的に建立し、人びと――教養人とて例外ではない――の意識を変革させしめた。
政治的神話への抵抗力を失わせ、人間精神の再興を断念するような思想を論じたシュペングラーやハイデガーを批判し、「敵を知る」という哲学の道徳的役割を訴えて最後の章が閉じられる。

雑感。
・あらゆる議論が手際よく整理されていて勉強になった、驚くべきことに、とてもコンパクトな本(500ページ以上あるが……)
・結語でアドルノかなんかに意識でも乗っ取られたのかと思った
・ないものねだりをしたくなる感覚に襲われていたが、読み終わったら忘れてしまった
・ブルーメンベルクが技術概念に張り付いているのはカッシーラーの議論を進展させようとしている、と見なすのは穿ちすぎか?